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『東日本大震災』被災地支援活動(2011年4月)

被災地支援に行って

今回、被災地に介護支援という形で行ったが「果たして役に立てただろうか」「かえって邪魔してきてしまったのだろうか」と自問自答することがあり、自分の無力さ、人間の一人の力ではどうにも出来ないものを感じた。津波の被害の状況を目の前にすると、言葉が出ない。テレビで映像は見ているが、実際は、津波の被害があった場所とちょっと高台にある所の被害の状況が明らかに違う。被害状況の差が激しく、それだけに津波の恐ろしさをさらに感じる。
介護支援で行った特別養護老人ホームは、海なし県からすると憧れるような、オーシャンビューのいい施設であった。穏やかな海、潮風、一見したら被害があったのだろうかと思うほど穏やかであった。
お年寄りは「よく遠いところから来てくれて、ありがとうございます」と暖かく、私たちを受け入れてくれた。会話をしていくなかで「群馬はいいね、海が無くて…、津波が無くて…」と言われた時は、返す言葉が無かった。津波の恐ろしさを感じる瞬間でもあった。
被災された職員もいる中で、明るく、文句も言わず一生懸命働いている姿を目の当たりにして、自分たちはどうなのかと思う事もあった。
ごく当たり前の生活が、幸せだと気付く。当たり前すぎて、幸せに気がついていない。
電気のありがたさ、水道のありがたさ、そして、人間の心のありがたさについて実感することができた。
支援という形で行かせていただいたが、逆に励まされ、勇気づけられ、人間支え合って生きていることを改めて感じた。
また、お年寄りと寄り添うことができるのが、介護の仕事の強みであるので、医師や看護師ではないので治療は出来ないが、より近くで、人と寄り添うことのできる、この介護の仕事の素晴らしさについても実感することが出来た。
復興を祈りつつ、復興したらまた行きたいと思います。春はすぐそこ。ありがとうございました。

養護生活相談員 島方裕治

  • メッセージ
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被災地レポート

3月11日。東日本大震災が、東北から関東地方を襲いました。高崎市は震度5強の強い揺れ。突然起きた大地震に、一瞬にして都市の機能は奪われ、東北の三陸海岸には巨大な津波が押し寄せました。まさに、未曾有の災害。1万人を上回る多くの方が命を落とされました。
3月22日、群馬県から希望館に派遣要請があり、4月2日~6日まで被災地ボランティアに行くことになりました。職員は、群馬県内の施設に勤務する25名です。

  • 支援活動の様子
  • 支援活動の様子

行き先は宮城県の気仙沼にある春圃苑(しゅんぽうえん)という特別養護老人ホームです。その施設は、津波の影響により施設から東西に伸びる国道が破壊され、孤立状態でした。定員50名のところに、デイのご利用者様と、近隣の住民の方々が避難をしていて120名以上の方が生活を共にされていました。
私たちが宮城県を訪れた4月2日は、すでに電気は復旧していましたが、ガスは6月頃までかかってしまうとの事でした。メンバーのうち12名が春圃苑に派遣され、ご利用者様の食事や入浴、排泄の介助などを中心にお手伝いをさせていただきました。また、時間がある時にレクレーションをして欲しいとのご要望があり、"草津節"や"籠の鳥"など懐かしのメロディーを、ご利用者様と一緒に唄ったり、踊ったりして過ごしました。皆様の笑顔のために少しでもお手伝いができたかな、と思います。
相談員の方が「気仙沼は、良い場所だったんですよ。海と山の幸に恵まれてね。でも、こんな津波が来るなんて、誰も想像できなかったんです。やっぱり自然の力には勝てないんですね」と瓦礫(がれき)が散乱した浜を見ながら、話してくださいました。
帰り際、80歳くらいのご利用者様が、私たちに話しかけてくださいました。「もう少しすれば気仙沼も元のように戻るから、また遊びにきて下さい」

  • 支援活動の様子
  • 支援活動の様子

この災害で、復興まで10年かかるといわれています。私たちが「気仙沼が立ち直るまで、長生きしてくださいね」と話をすると、その方は「この年になって、楽しみが出来てよかった。復興する気仙沼も見られるし、地震があったから、あんたたち群馬の人にも会えたんだからね」その一言に、胸を打たれました。
元気を気仙沼に届けるつもりが、気がついたら、沢山の元気と笑顔を貰っていたのは、実は私たちの方だったのです。
希望の光があるかぎり、がんばりましょう。日本!

  • 支援活動の様子
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被災地派遣にあたり感じたこと

東日本大震災・被災地支援のため、群馬県が宮城県に派遣した介護職員の第1陣38名は主に気仙沼市の避難所や施設で介護の必要な高齢者のケアにあたりました。
未曾有の大災害に見まわれ家族や家をなくした人々が身を寄せる避難所や利用者定員の2倍を受け入れている施設はライフラインが行き届かず、物的にも人的にも不足している厳しい環境でした。
そこには自ら被災者でありながら明るく振る舞い誠実に活動する市・施設職員、激しい余震が続く中で勇気を持って奉仕するボランティアスタッフ、お互いに協力し支え合い困難に立ち向かっている被災者の方々の姿がありました。
私は今回の活動中、数名の方から「私達を心配してわざわざ遠くから来てくれた、それだけで十分さ」という言葉を頂きました。私達は確実に勇気を届ける事ができたのだと思います。そして逆に勇気をもらったのです。
これからも勇気が届けられるように日々、自分ができることを無理せず長く続けていきたいと思っています。きっと参加者38名全員、そう思っているに違いありません。なぜならそう思わなければいられない惨状を目にし、耳にし、体験してしまったのですから…。

がんばれ気仙沼!  がんばれ東北!!  がんばれ日本!!!

最後に私達、被災者支援隊を後方から応援してくださった群馬県、宮城県、気仙沼市の皆様ならびに業務多忙の中、温かく送り出してくださった希望館職員の皆様、そして一緒に支援活動を行った37名の隊員の皆様に感謝申し上げます。
「本当にありがとうございました」

デイサービス 角田孝治

被災地派遣にあたり感じたこと

3月25日~4月2日宮城県の被災地に介護ボランティアとして派遣となり、様々な体験をさせていただきました。
テレビや新聞等で報道されているものと、自分が実際に見て身体で感じたものとは大きな違いがありました。現地はどこも想像をはるかに絶した光景で、まるで爆弾が投下された後のようでした。
ライフラインが整備されていない環境での生活は、思いの外不便さとストレスを感じました。一番実感したのは「水」で、トイレで排泄の際に手洗い、汚物を自然に流すことが出来ない事(新聞紙に包み、ビニール袋に使用した紙等を捨てる)を毎回繰り返す、使用後は雨水を溜めたものをバケツで汲み便器に流す、現地では当たり前のように行っており、特に女性は使用頻度が男性より多い為、とても不便さを感じており、不衛生でもあります。水ひとつストップしただけで飲用、手洗い、排泄後の始末、洗濯、食事全般等他にも不便な状態となります。例えが悪いですが、非日常的な生活を送らなくてはならないのです。当たり前が当たり前ではなくなるのです。私達は計画停電で3時間、多くて6時間我慢すれば良いのですが、現地はいつも電気が無い状態を長期間耐えております。私達は幸せな環境で生活し、生きているのだと思います。
今回私達は被災地の皆さんにとても温かく迎えて頂きました。元気、やすらぎ、勇気を与えるべく想いで被災地に行ったのですが、逆に元気、勇気、喜び、感動を頂きました。今回の活動は小さなものですが、私達一人ひとりが出来る支援をそれぞれの立場で、必要とされている形で行っていければと思います。次回もこの様な要請があれば喜んで協力をさせて頂きます。今回人選して頂いた事に感謝します。最後にガンバレ日本!!

リハビリ 梅香伸久

『東日本大震災』義援金について

東日本大震災で被災された方々の為に、私たちができることのひとつとして義援金を募ることを始めました。
職員はもちろん、職員の家族、ケアハウスの入居者様やデイサービスの利用者様にも協力していただきました。義援金と一緒に希望館全体の気持ちも被災された方々に届くことを願っております。
また、今回だけでなく長期に渡って微力ながら支援させていただきたいと考えておりますので随時、ホームページで報告していきます。

『東日本大震災』社会福祉法人希望館の義援金(内訳)

ご利用者・職員の皆様より375,743円
希望館職員・懇親会より366,000円(122名×3,000円)
各施設会計より258,257円
合計1,000,000円

義援金の配分先(経由先)

全国老人福祉協議会200,000円(振込)
全国児童養護施設協議会200,000円(振込)
上毛新聞社(株)200,000円(持参)
全国経営者協議会100,000円(振込)
全国青年経営者会100,000円(振込)
日本赤十字社100,000円(振込)
群馬県共同募金会100,000円(持参)
合計1,000,000円

皆様からお預かりしました浄財は上記のとおり、手続きさせていただきました。
皆様のご協力ありがとうございました。

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